姫路手柄山公園 慰霊塔
2009年 11月 29日
姫路手柄山にある、慰霊塔・・・・・
正しくは、「太平洋戦全国戦災地空爆死没者慰霊塔」と・・・
こんな長い名前だったのだ・・・・・
下からの、長い階段を上がって行くと・・・
正面にそびえています・・・・・
昭和31年に建立され、
剣を大地に突き刺したそのデザインは
武器を封じ込め、
「もう戦争はしない」と言う
不戦の決意を示しているそうです・・・
巨大な塔で、
下には日本地図のレリーフがあり、
爆撃を受けた都市が示されています・・・・
慰霊塔の周りは・・・・
慰霊塔の下は、こんなんだった・・・・・のかぁ・・・・・
太平洋戦争中の空爆その他による犠牲者で、
軍人軍属以外の50万9,700余の死没者を供養し、
その霊を慰め、犠牲者を追悼するためにつくられた・・・・・
1947年(昭和22年)1月、
当時の姫路市長・石見元秀が全国で被災した
113都市(東京都と112市町)に呼びかけ、
全国戦災都市連盟が結成された。
1952年(昭和27年)4月、恒久平和確立の象徴として
慰霊碑建設が提案され、同年7月に建立場所として
姫路市の手柄山を選定した・・・
設計は高谷隆太郎
何と!!!
慰霊塔の設計は懸賞により全国に公募され、
全国から集まった151点の応募作品を、
日本建築学会長工学博士伊藤滋氏ほか
斯界最高権威者を網羅した審査員会の厳選
(昭和27年11月19日審査会)により
一等当選の栄に浴した東京都土浦建築事務所勤務
高谷隆太郎氏の作品が選ばれた。
ちなみに、賞金は・・・・・・・・・・・・・¥150,000円だって・・・・・
この年の大卒銀行員初任給・・・・・ ¥5,600円・・・・・・
by mini-mini32 | 2009-11-29 18:45 | 建築物